俳句的生活(352)善通寺(12)仲村廃寺
善通寺伽藍の北東300mの処に仲村廃寺、別名で伝導寺と呼ばれる寺の遺跡があります。今は墓地となっていて、また大きな石が置かれているだけになっています。更にそこから南に300mの処に生野本町遺跡と呼ばれる伝導寺と同じ白鳳時代の住居跡が発掘されています。これらは共に空海の祖である佐伯氏が善通寺西院(誕生院)に移る前の氏寺であり居住地であったと考えられています。

興味深いのは、伝導寺から出土した瓦の中に、法隆寺式の瓦が含まれていたことです。当時法隆寺は讃岐に13か所の荘園を所有していて、その内、善通寺のエリアである那珂郡と多度郡には4か所となっていて、伝導寺はその荘園の中に、法隆寺の末寺として築かれたのではないかと想像されます。
法隆寺との関係については、更に興味深い事項があります。それは屏風浦五岳と大麻山の間に造られている王墓山古墳での副葬品です。この古墳は6世紀後半のもので、国造になっていたであろう佐伯氏のものであろうと推定されているものですが、それが特異なのは、王墓山古墳と築造時期が同じの斑鳩の藤ノ木古墳からの副葬品と多くの類似点があることです。

この写真は潰されて副葬されていたものが復元されたものですが、藤ノ木古墳でも同じように潰されて副葬された金銅製冠帽が出土したのです。藤ノ木古墳の被葬者は聖徳太子に近い王族であろうと推測されているのですが、副葬品の類似点が多いことで、この二つの古墳の被葬者の間には、何らかの繋がりがあったのではないかと考えられています。
善通寺の前身である伝導寺が造られた白鳳時代は、空海の100年前、王墓山古墳は更に100年前という時系列となっています。そこに讃岐の豪族であった佐伯氏の息吹きが伝わってくる気がします。


