俳句的生活(351)御朱印(4)遊行寺

遊行寺は旧東海道の藤沢宿の近くに位置している時宗(じしゅう)の総本山です。近年では正月2日3日に行われる箱根駅伝で遊行寺の名は全国に知られることになり、特に復路の8区は1kmの遊行寺坂を上る難所となっています。

この寺は菖蒲が寺の回廊から眺められることが特色で、以前は家内とよく訪れたものでした。グーグルの地図を見ていると、我が家から割と判り易い道で行けることが分かり、先週、御朱印を貰うことを兼ねて菖蒲を見物してきました。

遊行寺の御朱印

遊行寺の中庭
回廊から見た中庭(遊行寺HPより)

古い歴史の話になって恐縮ですが、このお寺には岩松満純という武将の墓が造られています。彼は新田義貞の曽孫にあたり、最初の墓は室町時代に造られていますが、現在のものは大正になって造り直されたものです。碑には「新田十代の裔」と刻まれていて、なんと新田氏の祖である新田義重にまで遡って代を数えているのです。徳川家康は信長とともに足利義昭を奉じて上洛する頃、松平を徳川に改姓し新田一門であることを名乗るのですが、その時代、新田ブランドというのは権威は残ってはいたが、実利的なものは何もなく、家康の取った改姓とそれが新田一門に繋がるとした事に対して、信長を含めて異議を唱えるものは誰もいませんでした。結果的にこれが徳川は清和源氏の流れを汲むものとして、幕府創設を可能にすることになり、宝くじを大当てしたようなことになりました。そして遊行寺には、義貞の曽孫を葬ったということで100石を寄進し、幕府の篤い庇護のもとで明治を迎えることになったのです。岩松氏の方は幕臣となり、わずか120石という旗本でしたが、寄り合いとして家名を保ちました。岩松氏は明治になり姓を新田に戻し、男爵に叙されています。新田義貞には正一位が追贈されて、官位の上では足利尊氏の贈従一位を上回ることになりました。そんな南朝を正統とする時代もあったというお話でした。

かきつばた風が風呼ぶ回廊に  游々子