俳句的生活(342)御朱印(3)信隆寺
我家から一国(旧東海道)に出た所に信隆寺という日蓮宗のお寺があります。ここでも御朱印を出しているということで、電話でアポをとって、自転車で出かけました。対応して下さったのは若い副住職さんで、御朱印帳に直接書いて下さいました。

このお寺については、甲斐の武田氏につながる人たちが江戸時代になって先祖を供養するために創建したということで、今までに2回ほどブログにしています。(こちらとこちら)
本稿では、滅亡した武田家の武将や家臣たちが何故にお寺を創建するだけの力を持ち得たのか、そこに絞って綴ってみたいと思います。
徳川家康は、天目山の戦いで武田勝頼が自刃したあと、あとに残された武田の家臣団を厚遇し、約800人の武士たちを徳川の旗本として自軍に組み入れています。1000石以上で待遇された武将は何人もいて、江戸期に出世し1万石を越えて大名にまでなった家臣もいました。徳川政権は “武田ブランド” に着目したのですが、それは、甲州流軍学・騎馬、足軽の運用・金山経営といった信玄の遺産を継承したものです。武士にならなかった者たちにも、土地の保有を認め、郷士的立場を与えたことにより彼らは豪農化し、寺を創建するだけの財力を持つに至ったのです。
信隆寺が創建されたのは寛永元年(1624年)で、武田氏が滅亡してから40年が経っていました。創建を成し得た遺臣たちはどんな思いであったかと、想像を巡らさずにはいられません。
風にのり読経ながるる花は葉に 游々子


