俳句的生活(339) 善通寺(3)御影堂
善通寺の境内は東と西にそれぞれ東院、西院と別れています。元々は佐伯氏の時代のお寺は東院の場所に造られていて、西院の方は佐伯氏の居住の場であったそうです。もちろん空海が産まれたのは西院になる訳で、今その場所には御影堂が造られています。善通寺ではこれを “みえどう” と呼んでいます。

御影堂とは高僧(開祖など)の肖像(=御影)を安置する堂のことで、これは空海や親鸞など、宗派ごとの祖師を祀る重要な建物です。
善通寺の御影堂がユニークなのは、堂の下が戒壇巡りと称される真っ暗闇の回廊になっていて、私は子供時分に冒険的な遊び場として何度も巡ったものでした。今では宿坊に泊まった時には、朝六時からの御影堂で催される読経に参加したあと、この戒壇巡りを歩くことにしています。
この回廊ですが、入口付近には龍や雲の絵が描かれていて、ずっと中まで絵が続いているのかと思ったりもするのですが、しばらく進むと真の闇となり、壁に手を当てて進まないとどうしようもない回廊になっています。子供の時はそれが面白かったのでしょうね。
日本語の「影」には、見えないけれども確かにあるもの・本体に寄り添う存在・気配や余韻といった意味合いがあります。善通寺の戒壇巡りは、何も見えない暗闇の中を視覚ではなく感覚に頼って進むということで、”目に見えない存在(=御影)と向き合う体験” と解釈されています。この戒壇巡りは「胎内めぐり」とも言われていて、生まれ変わり・自己浄化をめざす密教的で精神修行色が濃いものとなっています。この辺りは浄土宗や浄土真宗とは大分ニュアンスが異なっているように思います。


